コンテンツが溢れる現代、私たちはどんな表現に価値を見出し、クリエイターはどう生き残っていくべきなのか?
アニメーション、映画、アメリカの歴史に詳しい岡田斗司夫さんが語る「ホワイト社会」「AI時代のコンテンツ消費」「世代によるメディア受容の違い」という視点から、未来の表現と消費のあり方を探ります。
AIが1日に数万種類の動画を作り出す時代が近づく中、人間のクリエイターにとっての活路とは何なのでしょうか?「秒速5センチメートル」に感動する世代と、AIが作った映像に感動する世代の違いとは?
そして岡田氏が30年前から言い続けてきた「コンテンツの風化」の問題にどう対処すべきか?
今回は、岡田斗司夫さんと後藤達也さんとの対談から、変化するコンテンツと消費の未来について考察します。
📊 この動画のポイント
- AI時代のコンテンツ創作と人間の役割の変化
- 世代によるメディア受容の違いと「ネイティブ差」
- コンテンツの急速な風化と対策としての「アップグレード戦略」
- AI時代の「ホワイト社会」の進行と私たちの表現の自由
- 日本アニメの手描き文化の価値と未来
この動画を分かりやすく言語化
結論から言語化
AI時代において人間のクリエイターは「心のシェア争い」で差別化を図る必要があります。
なぜなら、AIが大量のコンテンツを高速生産する時代が到来し、人間が量や速度で勝負することは不可能になるからです。
「AIは1日に何万種類もの動画を作れる」可能性があり、そうなれば個々の作品の独自性や価値より、作品群全体の数と多様性が勝負になります。
人間のクリエイターは単なるコンテンツ制作者ではなく、コンテンツを独自解釈しておすすめする消費者たちへ提供する存在として価値を発揮することが大切です。
自分のユニークな視点や経験から作品を解釈し、積極的に言語化することで、AIには真似できない価値を生み出していきませんか?
背景から言語化
コンテンツの消費サイクルが急速に短くなり、素晴らしい作品でも数週間で忘れられてしまう「風化」現象が起きています。
この状況では新しいコンテンツを作り続けるだけでは、創作者も視聴者も疲弊し、真に価値のある作品が埋もれてしまいます。
そのためには、言語化が優れている人が過去のコンテンツを「アップグレード」して再配信し、新たな視点や解説を加えることで、作品の寿命を延ばし、再評価の機会を作ることが大切です。
それにより、クリエイターは効率的にコンテンツを提供でき、視聴者は忘れていたコンテンツの価値を再発見できる上、作品を深く理解することが可能になるでしょう。
AI時代のコンテンツ創作と人間の役割
数万種類の動画を1日に生み出すAI
岡田氏は、AI時代の動画コンテンツについて衝撃的な予測を示しています。
「AIが勝手にシナリオを組んで、勝手に自分の音声で喋ってくる」時代が近づいており、「AIは1日に何万種類もの動画を作れる」と言います。
これは単なる空想ではなく、「理論的に不可能ではなく、技術的にまだ届いていないだけで、数年後か数ヶ月後にはリーチできる未来」だと岡田氏は指摘します。
人間の感性とAIの作品
しかし、AIが作る作品に私たちは本当に感動できるのでしょうか?
インタビュアーは「秒速5センチメートル」のような作品について、「深海誠さんのおそらくいろんな気持ちとか生きづらさとかままならなさみたいなものがあるだろうなって人間が作ってるからこそグッとくる」と指摘しています。
岡田氏はこれに対して、「世代の問題」だと鋭く指摘します。
かつて「アニメーションにはリアリティがない」と言われていた時代から、CGアニメーションの時代へと変わる中で、「生まれた時からネイティブでそれがあった世代は、それを無条件に受け入れてしまう」と説明します。
つまり、将来の世代にとっては、AIが作った作品に心を動かされることが当たり前になるかもしれないのです。
人間の創作者の未来
では、人間のクリエイターはこの流れの中でどう立ち位置を確保すべきなのでしょうか?
岡田氏は「クリエイティブというのはこれまで人間の独占だったものがAIさんたちもやってくるようになって、すごい強いライバルが山のように現れたけど、負けないぞ」という根性論的な姿勢が必要だと言います。
彼はこの状況を、「人類はAIにとっての老害」と表現し、AIに抗い続けることが人間のクリエイターの生き方になるのではないかと示唆しています。
世代によるメディア受容の違い
手描きアニメとCGの間の世代差
岡田氏は自身の経験から、メディア受容における世代差について興味深い視点を提供しています。
「僕が子供の頃はアニメーションにはリアリティがないと言われて実写じゃないとダメだという風に言われて」いた時代から、トイ・ストーリーのような「CGのキャラクターでもリアルに見えてしまう」時代へと変化してきました。
しかし、手描きアニメ世代の岡田氏には、現代のCGアニメーションに「リアリティを感じない」と語ります。一方で若い世代はそんな意見も介さず見事に感情移入できているのです。
「宮崎駿化」するコンテンツ
岡田氏は宮崎駿監督の作品を例に、コンテンツの世代間継承について語ります。
「20年したら(宮崎駿のアニメを見る人は)いなくなると思うんですよ」と述べます。その理由として「ジブリの絵というのはやっぱり古い」ことを挙げています。
さらに、「今の僕らにとって、なんであのおっさん世代は長嶋茂雄とかジャイアントババとか言うんだよっていうことと同じ」になると予測しています。
これは、どんなに素晴らしい作品も世代を超えて同じように受け入れられるわけではないという現実を示しています。
コンテンツの急速な風化と対策
風化の加速
岡田氏が最も懸念しているのは、コンテンツが急速に風化していく現象です。
「僕らの中で最も注意すべきことは何かって言うと、どんな面白い新作があるかではなくて、どんな面白い新作があっても心の中で急激に風化していく速度が早すぎること」だと指摘します。
「この2年か3年の中で自分の一生を変えるぐらいの作品にみんな出会ってるんですけど、それがすごい勢いで風化して今なんで好きだったのかわかんない」という状態が一般的になっているのです。
「アップグレード」戦略
この風化に対抗するために、岡田氏は自身の「アップグレード」戦略を明かしています。
「週に1回新作配信して、週に3回古いやつを配信してる」という方法で、過去のコンテンツに新たな価値を付け加えています。
さらに「再放送というかアップグレードって僕呼んでるんですけど、やった方がいいですよ。みんな覚えてないから」と強調します。岡田氏によれば、「作り手が思ってる以上に(視聴者は)覚えてない」のです。
「ホワイト社会」の進行と表現の自由
ホワイト社会とは何か
インタビューの後半で岡田氏は「ホワイト社会」について解説しています。
これは「かつてあった見にくい本音とか見にくい人間の本質みたいなものを口にしてはいけない社会」であり、「思ってもいいけども口にしてはいけない社会」だと説明します。
SNSの発達により、過去の言動が掘り起こされて批判の対象となる「キャンセルカルチャー」が「目立つ人から順番にターゲットとなる」状況が起き、そのうち「目立たない人にも降りてくる」と警告しています。
本音の消失
このようなホワイト社会の進行により、「本音なんかない方が楽だから、みんな本音がない価値観というか精神構造になっていく」と岡田氏は懸念します。
人々は「考えない」ことを選び、「何が最近ホワイトでないとされているのか」という情報だけを集めて、そこに「価値観を挟まない」ようになるというのです。
岡田氏はこの状況をカトリック教会が支配的だった時代に例え、「ルネッサンスが復活するまでの数百年間と割と似たようなもの」と表現しています。
しかし、「ホワイト社会」から脱却するには「100年単位」かかるかもしれないと予測しています。
日本アニメの手描き文化の価値
ガラパゴス的進化の魅力
興味深いことに、岡田氏は日本アニメーションのガラパゴス的な進化に価値を見出しています。「日本はこのガラパゴスをもっともっと進めるしかない」と述べ、海外アニメーションがCG化へと向かう中、日本の手描きアニメーションの独自性を強調しています。
「作家性が強い日本のアニメーションというのを見た方がいい」と岡田氏は勧め、特に「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション」やルックバックのような作品を挙げ、「監督の思いが強くて絵というものにすごい力がある」と評価しています。
まとめ:変化する表現と消費の世界で生き残るには
岡田斗司夫氏の洞察から見えてくるのは、急速に変化する表現と消費の世界で、クリエイターと消費者がどう生き残っていくかという課題です。
AIが創作の場に参入し、コンテンツが溢れ、風化が加速する中で、私たちは何を大切にしていくべきなのでしょうか。
岡田氏の提案する戦略をまとめると:
- 過去コンテンツの価値を再発見し、「アップグレード」して再提供する
- 短い尺で頻繁に発信するなど、消費パターンの変化に適応する
- 日本独自の「手描き」のような文化的価値を大切にする
- 風化する時代の中で、本当に心に残るものを見極める目を養う
本記事著者によるあとがき
あなた自身はどのようなコンテンツに価値を見出していますか? そして、それらは時間の経過とともにどのように変化しているでしょうか?
過去に面白いと感じたり、影響を受けた作品を久しぶりに見返してみる、あるいは若い世代が熱中しているコンテンツに触れてみる—そうした体験を通じて、自分自身のメディアやコンテンツの消費パターンや価値観について考えてみてはいかがでしょうか。
AIの進化と「ホワイト社会」の進行という二つの大きな波が押し寄せる中で、私たちは自分自身の感性と表現をどう守り、どう育てていくのかを考えていくことが大切だと感じます。